村上ファンドの阪神電鉄株買い占めで、世間が俄かに騒がしくなっている。折しもセントラル・リーグで優勝を果たした阪神タイガース球団を、村上氏が『株式を上場せよ』と迫っているから猶更である。今年の春先にはホリエモン(堀江貴文氏)率いるライブドアとフジテレビ・ニッポン放送とのひと騒ぎがあったばかりである。我々一般市民は、新聞やテレビなどのメディアを通じてこれらの様子を知らされるが、メディアの報道も甲論乙駁を面白おかしく伝えるだけなので、法律やルールの専門家でもない我々は、何が核心なのか今ひとつよく解らないというのが実感である。
去る10月11日に村上氏と阪神電鉄西川社長とのトップ会談が行なわれたが、翌日の日本経済新聞は『村上ファンドは自らを語れ』の標題で社説を掲げている。それによると、村上氏のタイガース上場提案に対し、阪神電鉄側が反対の意向であることを紹介した後、
『経営者と大株主が真っ向から衝突した格好だが、基本は法と野球協約などのルールに従って当事者が決める問題だろう。大事なのは、この問題を上場会社と株主(投資家)の関係でみると、どうなのかである。』
とした上で、
『村上ファンドは、分散投資が基本の機関投資家一般とは異なり、企業経営や株価への影響力は比較にならないほど大きい。村上ファンドの後ろにいる資金の出し手は誰かという株主の実態情報は、株式市場に欠かせない投資情報である。』
『村上ファンドは自ら進んで資金の出し手を開示すべきではないか。』
と結んでいる。
これとは別に、私は以前から『アメリカ式の“会社は株主のもの”』という考え方には疑問を持っていた。ところが何故かアメリカさんの言うことなら、何でもグローバル・スタンダード(世界標準)であるとする風潮が、折に触れて見えるのが残念でならない。会社は決して株主だけのものではない。会社が存続するためには、大勢の皆さんつまりは広く社会のお世話になっているのは紛れもない事実である。お得意先、仕入先、金融機関、そして何より会社発展のために毎日悪戦苦闘を続けている社員諸君。まだまだある。営業車の世話をしてくれる自動車屋さん、配送を担当してくれる運送屋さん、商品を加工してくれる加工屋さん、工事を引き受けてくれる職人さん、コンピュータ関連の機械屋さん、帳票類を整えてくれる文具屋さん、果ては弁当を届けてくれる弁当屋さんまで、つまりは会社を取り巻くすべての皆さんにお世話になっているからこそ、会社は動いて行けるのだ。何時か本稿にも述べたことであるが、もし会社が潰れたら、会社を取り巻くすべての皆さんつまりは社会に対して、大変な迷惑を掛けることになる。
ということは、会社は天下の公器だ。株主もその中のワンノブゼム(大勢の中のひとつ)だ。何も株主の重要度を軽視しているのではないが、『アメリカ式の“会社は株主のもの”』だけでは断じてない。
そもそも株券とは何か。株券とは借金(株主側から言えば貸し金)の証文である。そして株主が資金を出す(株券を持つ)方法にはふた通りある。
* 投資:企業発展の後押しをするために資金を出す。株式の上場・非上場に関係ない。
* 投機:株式の博打。博打の売り買いをするのだから、上場株式に限る。
くだんの村上ファンドは投機ファンド即ち博打ファンドである。投機ファンドそのものは、何も否定されるものではない。しかし村上氏の考え方は、
『資本と経営は分離されるべきもので、株主は資本の範疇から経営に対し、ものを申すことができる。下手な経営をしておれば、株主は経営者に対して文句を言える。』
とした上で、下手な経営の条件に、阪神タイガースの株式を上場せよと言う。株式を上場すれば、多分株価は数倍の高値になり経営にとって大きなプラスになる、というのが村上氏の主張である。しかし村上ファンドは博打ファンドだから、株価が高値になると、手持ちのタイガース株をさっさと売り逃げて儲けを取り込んで、涼しい顔であとは野となれ山となれだろう。
『それでも阪神タイガースは、経営を拡大することができるじゃないか。』
というのが村上氏の考え方。その裏には
『会社は株主のもの』
という思想がありありだ。
ここまで来ると、『会社は誰のものか』というテーマが浮かび上がる。私見は前述の如く、
『会社は天下の公器だ。』
から言えば、村上氏の意見に組することはできない。巨人の渡辺恒雄球団会長も、
『ハゲタカに球団を売る訳にはいかない。』
と反論している。ナベツネ氏は余り好きではないが、本件に関する限り、私はナベツネ氏と同感である。