娘と家内がテレビでアメリカ映画を観ている。夕刊片手に私も見るともなしに見ていると、凄まじい銃の撃ち合いのうちに、悪党どもがばたばたと殺(や)られる中で、正義の主人公は敵弾を受けて血みどろになりながら勝利するという、お決まりのパターンのアメリカ映画である。
『よくまあこんなくだらない映画を観ているな。』
つい口に出た私の言葉を受けて家内が言う。
『あなたはよく映画や芝居をくだらないと一笑に付すけれど、なるほど映画や芝居は架空の世界の物語ですが、じゃあ現実の世界を観てご覧なさい。人間はなんとこれほどまでに、くだらないことをやっているものだと思いませんか。』
私の現実主義を先刻ご承知の上で一矢を報いてきた。言われてみれば全くそのとおりだ。残念ながら家内の反論にはぐうの音も出ない。
去る2月9日のサッカーW杯予選の対北朝鮮戦は、日本中が沸きに沸いた光景だったが、サッカーを知らない又は興味のない人にとっては、何の関係もない出来事だっただろう。ことほど左様に人間というものは、十人十色どころか、世界中に60億人がいるとすれば、60億色だと言わざるを得ない。その人達の歴史や環境を含め、一人々々性格から価値観まですべて異なるのだ。同じ人の考えでも、昨日の彼と今日の彼とは意見が異なる場合もある。又そうあってよいと思う。
最近特に60億人60億色の思いを強めている。すると毎日言葉を交わす人々の発言内容が、誠に新鮮に聞こえる。何気なしに聞いていると聞き逃してしまう言葉の端々に、意外な強さを感じることもある。はっと思う人の話は、私が思いもしていない話題なので、少々オーバーに言えば一大発見であり、大変感銘を受ける。さりとて60億人の意見を聞く訳にはいかない。一生かけても、たかだか数十万人の人と接するのが関の山だろう。となると余計に毎日接する人との会話が、とても大切に思えてくる。
聞き覚えの話なので真偽のほどは定かでないが、福沢諭吉が勲章の授章を断った時の台詞に、
『私に勲章を呉れるくらいなら、先ず近所の豆腐屋にやってくれ。』
と言った由だが、如何にも福沢諭吉らしいと思えるので覚えている。先日のテレビに、釧路湿原で絶滅に瀕した鶴の世話を、30年間し続けた方の記録が放映されていた。大工の棟梁、筆つくりや扇子つくりの職人、床屋の親爺、蕎麦屋の兄ちゃん、私達を含め世の中の殆どの人は、別段名声を上げる訳でもなく、地味な仕事をただこつこつと続けており、それこそが人間社会の基盤となっている。
又、会社や組織の都合で、或いは運命のいたずらで、思いもしなかった職場に配属された人が、くさることなくその仕事を真面目にこなしたことが、本人の大きな収穫になった事例は枚挙に遑なし。
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