今月の日本経済新聞の「私の履歴書」欄には、遠州茶道宗家の小堀宗慶氏が登壇されている。同氏は大正12年生まれだから、私より2歳兄貴だ。身体が大柄で、子供の頃はかなりの腕白坊主だったらしい。昭和18年学徒動員の召集を受け、同年10月21日雨のそぼ降る明治神宮外苑における出陣学徒壮行会に、出征兵士として出席されていたが、私は観客席から彼等を見送っていたのだ。東条英機首相兼陸軍大臣のマイクを通しての稍甲高い声が、今も耳底に残っている。同氏は黒竜江省のチチハルに配属されたが、間もなく敗戦。ソ連軍に武装解除された後、シベリアへ抑留されて4年間、生死の境をさまよう苦境を経験しておられるが、私は兵隊にこそ行かなかったものの、友人知人の中にはシベリア抑留経験者もいて、同年代の者として彼等の苦労が痛いほど解かる。
同氏の「私の履歴書」の第4稿に父上への思い出が記されている。
『私は父に何をしろ、何をしてはいけない、などということを一切言われた記憶がない。特別寡黙な人だったわけではない。親しい方々とは和やかに談笑し、座談も巧みだった。子どもに対しては黙って見守り、自分の行いをもってその関心や興味を促し、いろいろな能力をおのずと引き出す――今思えば、理想的な教育をしてくれたのだと思う。例えば書一つとっても、父は正月二日に書き初めをしたが、幼い私には父のすることが珍しく、興味津々で眺めていた。すると父は、墨をする手をふっと止めて、「正明(同氏の本名)、すってみるか」と何気ない風で声をかけてくれる。それは、親の情愛と師の賢明さを併せ持った絶妙のタイミングだった。教える立場になった今、私にはあのタイミングと声音だけは真似ることができない。そんな時間を父と過ごすうちに、私は自然に書の世界に入ってゆくことができた。』
『日常生活においても父は、率先垂範、労をいとわず自分から進んでやって見せた。茶家の年中用事、しきたりから日常生活まで、何事もおろそかにせず、かといって肩ひじも張らず、自然体で楽しむ父の態度を見て育ったことが私の習い性となった。』
子供は親父の背中を見て育つと言われるが、小堀宗慶氏の場合は将にその典型であろう。
8月13日(日)朝日新聞天声人語より。
徳淵真利子さんが、東海道新幹線の車内販売のアルバイトを始めたのは、昨年1月だった。制服姿の写真を求人雑誌で見て、やってみたいと思った。父親の転勤で引越しが多く、何度も乗った新幹線が好きだった。▼12月に正社員に登用された。平均の3倍近い売り上げを記録したからだ。昨年度の売り上げは約400人いる東京オフィスで1位だった。▼まだ22歳。なぜそんなに売れるのか。いろいろ聞いてみると、努力と笑顔らしい。▼通常の勤務は、1日に東京・新大阪間を1往復か1往復半。のぞみの場合、5人で16両を分担する。天候や時間帯など様々な条件で売れ筋が異なる。コーヒーか、弁当か、ビールか。一度回った時点で売れそうなものを見極め、ワゴンの目立つ所に置く。1人ずつ客の目を見ながら、ゆっくり歩くのがポイントだ。ほほ笑みを欠かさず、丹念に何度も回る。▼お盆休みは家族連れで混雑する時期だ。10人以上通路に立っていると、ワゴン販売は中止し、トレーに商品を載せて回る。昨年の経験では、圧倒的に売れたのはアイスクリーム。子どもにもお年寄りにも売れるという。ビールはお父さんが家族に止められて、あまり売れない。帰省先へのみやげを用意していない人も意外に多く、車内でよく売れるそうだ。▼「お客様の邪魔にならないよう、役に立てれば」。頭の中は仕事のことばかりだという。
人は育てるものではなく、育つものだ。