生活文化づくりのシステムコンダクター片山鉄建株式会社
ek広場
2007年5月20日(379号)

■芦屋の春


 4月29日昭和の日の祝日、良い天気に恵まれて久し振りにぶらりと散策に出掛けた。桜も終わり花水木も半ばを過ぎてはいるが、つつじが盛りである。あちこちに草花を育てる家もあり、如何にも春の息吹が満ちている。然し不思議なことに、烏、鳩、雀、ひよ、この頃は燕まで、鳥は沢山いるのに、蝶々や蜂など小虫が殆んどいない。「虫も好かない」では洒落にもならない。それより何より嬉しいのは新緑である。もののひと月前には裸木の並んでいた道が、若葉のトンネルになっている。さ緑に身も心も染まる思いである。
 足の赴くままに芦屋川沿いに山手の方へ歩を運ぶ。阪神間には芦屋川を始め、夙川、住吉川、石屋川など多くの天井川がある。六甲山系が風化質の花崗岩土壌なので、雨の度に土砂を下流へ流す。川底が浅くなると両岸の土手を嵩上げする。昔から永年これを繰り返した結果、流域の無い天井川ができ上がる。
 1938年(昭和13年)の神戸の山津波は凄惨なものだった。谷崎潤一郎の「細雪(ささめゆき)」にその情景が描かれているが、当時は既にその前年に、盧溝橋に端を発した日中戦争が始まっていたために報道管制が敷かれ、被災地以外の人達は、今でもあまり神戸の山津波のことをご存知ではない。降り続いた梅雨の終りの三日間に集中豪雨、これで阪神間の天井川を始めすべての川が一気に決壊、岩石・土砂・樹木が鉄砲水に押し流され、住宅地がすべて土砂で埋まった。芦屋川もご多分に洩れず、一番山手を走る阪急電車の橋桁に岩石や樹木が詰まり、激流はそこからオーバーフローして、住宅街を土砂で埋め尽くしてしまった。芦屋川をくぐって走る国鉄(今のJR)の芦屋駅は、プラットフォームに立つ人の背丈以上に土砂に埋もれたものだ。この神戸の山津波では、相当な数の死傷者も出た筈だが、これも情報規制のために定かではない。
 さて散策は、天神山と呼ばれる丘の上の芦屋神社へ向かう。芦屋神社は近在の氏神様で、丘の登り口からものの10分足らずの距離だが、かなり急な坂道なので結構息が切れてよい運動になる。元日の初詣には数十メートルの人の列もできるが、普段は物音一つしない閑静なお社である。以前は芦屋天神社と言われていたので、我々子供の頃は「天神さん」と呼んでいた。小さい頃から何度も訪れているお社だが、「天神さん」だから祭神は菅原道真とばかり永年思い込んでいた。祭神が天照大神(あまてらすおおみかみ)の第二皇子天穂日命(あめのほひのみこと)と知ったのは比較的最近のことで、誠にいい加減な氏子である。しかし私のみならず昔は誰でも「天神さん」「天神さん」と呼んでいたし、祭神が天穂日命だと殊更教えてくれる人もいなかったので、かなり大勢の人々が祭神を菅原道真と思い込んでいたのではなかろうか。そんな誤解もあったためか、戦後社名を芦屋神社に統一されるようになった。
 社務所で戴いた「芦屋神社の栞(しおり)」によれば、天照大神の御孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、高天原から日向の国高千穂に天孫降臨されるに先立ち、天穂日命が天降り、出雲の国を治める大国主命と長き月日を費やして折衝を重ね、刃に血塗らず平和裡に国土を天照大神に奉還せられたとある。又、天穂日命の子孫が多く阪神間に住み、これら氏族の手によってその祖神天穂日命を氏神として天神山にまつられた由とある。
 帰路、おばあちゃんとおぼしきご婦人が、お孫さんに郵便物をポストへ投函させるために、手の届かない幼いお孫さんを抱きかかえて、投函の手助けをされている姿あり。
ほほえましい街角風景の一齣であった。



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